第一回目

なんというか、はっきりいって駄文ですか。
そこかしこで見かけて気にかかったことについて
つらつらと書き連ねる、そういったコーナーです。

今はまだ一つだけですが、やっぱりこれも徐々に増えていくんですねぇ・・・
なんか脳髄とかから脳汁が出ちゃうかもしれませんねぇ・・・

まぁとりあえず、第一回目と致しまして、このコーナーの題名にもあります
“マルチ”のことについて少し、だべらせていただきます。

あっ、そうそう。
もしトゥハートを持っててまだマルチのED見ていない人がいたら
先にクリアしておいたほうがいいですよ。
結構展開を喋ったりしているので。

 

 

   これは去る5/9、リーフのホームページにあるゲームネタバレ談話室で語られていた事についての自分なりの考察です。

   尚、このテキストの作成にあたり、テーマを提供してくださった繭佳氏をはじめ、マルチの生みの親である高橋氏、水無月氏、ならびにTo Heart製作に携わったLeaf、Aquaplusスタッフやその他の関係者の皆様、そして最後の最後で良き助けとなっていただいたマルチ研の人々には、この場を借りて心から感謝の意を表したいと思います。

 

   さて、多少伸ばし気味になったが、本題にうつろう。

   なぜマルチには生殖器がつけられていたのか、ということに関して。
   まず浩之の結論からすると、“マルチが恋を成就するため”であったが、これは、浩之がマルチと交わることが単なる自慰的行為であるとしないための彼の詭弁とも捉えることが出来てしまうのではないだろうか。

   長瀬主任がなぜマルチをそういうふうにつくったのか。
   マルチの開発コンセプトが“可能な限り人間に近いロボットをつくる”であることは、彼女の口から語られているが、そのためにつけられたものだったとしたら、それはやはり作り手、この場合は長瀬主任がその矢面に立つことになるのだが、彼の自己満足のため、というふうに片付けられてしまう。

  “可能な限り人間に近い”というのは、もちろん外見、それには問題となっている生殖器のことも含むが、それについてもいえることだろうが、長瀬主任が目指したのはその心の完全化だったように思う。

   外見に関していえば、マルチ、セリオ以前にもそれなりに人間に近いロボットもあっただろうし、完璧を求めるならばセリオで十分である。セリオがマルチよりも先に開発されていたならば、これのみのマルチの開発意義はおそらくなかっただろう。

   マルチには心がある。それも、製作者たる人間のものよりも遥かに純化されたピュアな心が。それゆえに、彼女は他のHMやロボットとは大きく違う存在となっているのだ。
   長瀬主任の試みはこのマルチで達成されたのではないだろうか。少なくとも、彼の模索する可能性へは大きく前進したはずである。

   少し話が逸れかけてきた。元に戻そう。

   マルチの心が完璧に近づいたとき、どんなことがおこると、主任は考えたのだろう。

   人間と全く変わらない、それでいて遥かにピュアな心。
   そんなマルチの心の成長の最終段階に待っているのはどんな感情なのだろう。
   人間の心の状態で、最も高揚していて、最も純度の高い状態というのは、おそらく恋をしている時だ。
   そのことから、マルチの心が抱く感情が最終的に行きつく状態が“恋”であることは充分に考えられる。そして成長の最終局面を迎えた心は、その恋の成就を欲するだろう。
   長瀬主任にはそのことがわかっていた。そのときにおこる心の不安定に苦しむマルチを想像して不憫に思い、彼は彼女が恋を成就させることが出来るよう、その手段の一つたる性交を可能にする器官として、生殖器を彼女につけた。

   結果的に浩之をフォローするかたちとなったが、長瀬主任の考えは、そうだったのではなかろうか。

   だがここで、若干の疑問もあがってくる。

   なぜ長瀬主任は恋の成就の手段に、敢えて性交を思いついたのだろうか。ひいては、果たしてマルチに生殖器をつける必要があったのだろうか、ということにもつながる。

   Hゲーだから、の一言で片付けてしまうとミもフタもない。ここで問題になっているのは、そのようなことではない。

   マルチが人間に恋をしたからといって、その人がマルチに恋心を抱くということは考え難い。大部分の人間は実際、そうだろう。理由は、マルチがロボットだから。いくら人間とかわらない心や外見を持っていたとしてもマルチは所詮、ロボットでしかありえない。
   マルチと関係を持ってしまったことで、ここでは彼女との行為も含むし、それ以前に彼女と親しく会話するといった行動も含むが、浩之は変態扱いされてしまう。一般の目からしてみると、ロボットに恋をするということは、正気の沙汰ではない、と捉えられてしまうのだ。

   だがマルチの場合、本当にそういった感情を彼女に抱くことはおかしな事なのだろうか。その答えは浩之のマルチへの接し方に断片を見いだすことが出来る。

   彼はマルチと出会った時から最後まで、彼女のことを“マルチ”として扱った。
   ロボットとか、人間とか、それ以前に彼にとって、マルチはマルチだった。
   心を持った時点で、ロボットと人間との境界などそれは至極曖昧なものになってしまうのではないだろうか。大切なのはその心のなかみだというのを、浩之はわかっていた。だからマルチとごく自然に接することが出来たし、それ以上に親しみを持って彼女と付き合うことが出来た。浩之がとった行動は決して軽蔑されるべきものではなかったと思う。

   恋は、一体相手のどこに惹かれてするのだろうか。

   外見かと問うと、偽善的な人もそうでない人も大半がノーというだろう。問題なのは、心だと。

   恋とは相手の心に対して抱く自己の最も高まった状態の感情であり、その成就とは相手への想いがお互いに愛し合えるようになることで充分満たされることを意味するのではないだろうか。

   そう考えてみるとマルチに生殖器がついていなくとも、相手の人間がマルチをいかに愛しいものに思ってくれるかで、彼女の恋は成就されるはずである。

   逆に、マルチが生殖器を持っていることで彼女が傷ついたりはしないだろうか。

   マルチに生殖器があるのを知ったことで、彼女になんら愛を抱いていない人間が自分の自慰的欲求を満たすために彼女に性交を要求するといったことも起こりうるはずである。短絡的な言いかたになるが、彼女が“おしゃべりダッチワイフ”としてしか見られなくなってしまうということだ。実際、彼女のことをそう言っている人もいるみたいだ。

   愛の無いセックスなど彼女にとっては苦痛以外のなにものでもないし、それによって心に大きな傷を負った彼女がそれまでのように人間に対して心を開いてくれることはなくなってしまうだろう。そして、そこで彼女の心の成長がストップしてしまうという事態もおこりうるのだ。
   あくまで、性交はそれを行う両者の愛の絆を深めるために行われるべきいわば儀式であり、他者に強要されて行うものでは決してないのだ。

   長瀬主任はそのことをどう考えていたのだろうか。もし彼が何の考えもなしにマルチに生殖器を持たせることを考えついたのだとしたら、それは彼女にとって、残酷な面を持ったものだったに違いない。
   それならばただの苦しみの種にしかならない生殖器などはつけるべきではなかった。そのかわりに彼女の欠落した感覚を補ってやるべきだったのではないのか。なまじ人間に近い心を持っていて欠落した感覚があるということはそれだけでも残酷なことだ。
   長瀬主任には、どこか確信があったのかもしれない。
   みんながマルチのことを愛してくれるはずだ。どこまでも素直で、どこまでも純情で、どこまでも一生懸命で、どこまでもかわいらしい。そんな彼女の心には、すべての人々が惹かれずにはいられない。マルチが本当に心から人間のことを好きなように。

   だが、その確信が証明されることは、もうなくなってしまった。
   彼女の妹たち、量産型のHM-12型からは、本来受け継がれるはずだったマルチの心が除かれてしまっていたからだ。
   ただ、それは杞憂というものだ。そんなことは証明するまでもなく、マルチが万人に愛されるだろうことはすでに自明なのだから。

 

   さて、振り返ってみて。結局結論は何だったのか。それ以前に結論が出ているのかが危ういところだが。
   あれこれと推量ばかりを並べてしまったが、結果的には浩之が言ったことが、その答えだったということだ。
   総合的にそれによって、途中で挙がった疑問にも答えることが出来るのではないだろうか。
   マルチが恋をし、そしてその相手もまた、ロボットとか人間とかそういったことは一切関係なくマルチのことをマルチとして受け止め、彼女に恋をし、お互い愛し合うようになり、その愛を極限まで高処にのぼらせるために性交をする。そのために、マルチには生殖器が必要だった、ということになろうか。
   余談だが、彼女の妹とも呼べる量産型のHM-12には、この生殖器はつけられてはいないのだと思う。心を持った結果必要となったものであるならば、彼女達にそれは必要ないからだ。

   結論は以上。全体的に煮えきらない文章であった分、終わりもそれなりといった感じでしたがなんとかわかっていただけたでしょうか。
   最後に本来のテーマとは関係ないことではありますが、言いたいことがいくつかありますので付け加えさせていただきたいと思います。

 

   マルチのシナリオのうち、おそらくは没になったものと思われるが、その中で長瀬主任は彼自身の口から、自分がつくりたいものは人間そのものであると言う。
   ただ、それがそのままの意味だったのかどうか。
   人が人間を自らの手でつくりだそうなど、それがただの傲慢であるということは、今まで多くの場所で言われてきたことだ。そしてそれを行おうとした時点で人というものはすでに失敗しているのだ。長瀬主任にもそのことはよくわかっていたはずだ。では、なぜか。

   ここから先は本当に私の憶測にすぎないが、数ある真実のうちの一つであるのだと、私は確信している。

   彼は人間をつくりたかったのではない。マルチが人間へと変わっていってくれることを望んでいたのだ。比喩的な言い方かもしれないが。つまり、マルチがアンドロイドという存在から新しい存在になってくれること、新しい生命として歩いていってくれることを望んでいたのではないのだろうか。マルチの心がどのように成長していくかによって、彼女は新しい概念を持った存在へとなることが出来るのではないだろうか。人間に近いがそれでいて別の新しい生命。ただここで誤解しないでほしいのは体が機械だから云々で人間とは別物、と言っているのではないということだ。その焦点は心の部分にある。

   生まれたての彼女はまだ、アンドロイドという存在でしかなかった。自分でものを考えたり物事を判断したりというだけではアンドロイドの定義にしか当てはまらないからだ。マルチが自ら歩んでいった結果、その心が彼女を新しい存在であると言わしめるほど成長しきったとき、マルチはマルチとしてさらに歩き始めるのだ。

   だが長瀬主任は敢えてそう言わずに人間をつくりたかったという言葉を選んだ。それは、マルチが人間だったら彼女が自分の存在にどんなにかもどかしさを感じずにいられるだろうにという気持ちのあらわれから出た言葉だったのだろう。新しい存在になったとしても、彼女自身は、その性格ゆえに引け目を感じることになるのだろうから。

 

   本当に最後になりましたが、至らない知識と文章力、さらには思いこみの激しさのせいで言ってることが重複してたり、わけわかんねぇコトになってたり、はっきりしてなかったりとなにかと駄目な文章になってしまい、これを最後まで読んでくださった方々にはどう感謝したらいいのかわかりませんが、何はともあれ、ありがとうございましたと言わせていただきます。

 

 

      編集後記

 >はい、やっと終わりました。一時はどうなるものかと…ぜんぜんまとまりがつかねぇところがあってねぇ、ずっとコンピュータの前に座ってたら親に怒られちった。

 >原稿完成の最後の最後になってマルチ研のほうに足を運んでみると、自分がほんとに見当違いなことを言ってるのがわかり、慌てて一から書きなおした部分もあったりと、結構大変でした。

 >また現国の授業中にこれ書いてて、先生に危うく見られそうになったときはさすがに汗だくだくでしたね。“すごい、いっぱい(授業の)書き込みしとるなぁ”とか言われてもビクッとなってて“そ、そうっすか”としか言葉、出んかったもんなぁ。生殖器、とか書いてんだぜ、おいら。見られたら終わりじゃったよ。やべぇやべぇ。ホント、F坂先生ゴメン。

 >あと友達には“なに書いとん”とか言われて、“ん?いや、何でもない何でも。ほんとホント。あ、じゅ、18歳未満は見ちゃいけんのよ”とか言ってたし。自分が18じゃないという突っ込みをされたが。

 >それにしても、疲れた。

 >ここらで自分の駄文についてちょっと検証してみますかな。

 >文章を書く上で、どうしても避けて通れないものがあるということを、今回はっきりと認識しました。

 >自分ではあまり気に入らない表現というのを、使わざるを得ないということもあるということです。

 >まず、所詮、という言葉。

 >この言葉のあとには否定的な言葉しか続かないでしょ。なんか逃げてるような感じがするんですよね、現実から。だからあんまり使いたくないんですよ。

 >あと、ロボットだとか人間だとかそんなことは関係ない、というフレーズ。

 >これ、言ってる本人がそのことを一番よく認識してるんですよね。身体障害者だとか健常者だとか関係ないとか、エルクゥだとか人間だとか関係ないとか。そのせいで、フォローされた人が傷を負うということもあるんですよね。

 >そうそう、じつはこのホームページのどこかにマルチの没シナリオのテキストを忍ばせています。もし見たかったら自分で探してみてください。ようは宝捜しのような感覚。適当にアドレス打って探すわけです。どうしても見つからなくって、でも見たいという人がいたら、言ってください。アドレスを教えます。

 >こう、テキストにしていてわかったことなんですが、どうもこの文章、かなり筆者本位で書いているために含みが多いというか、かってに話が進んじゃっています。例えばマルチに心があるあるといっていましたが、AIのことについて全く触れずに喋っちゃった結果、どうも多々の誤解が生じているらしいというのが客観的にみてわかったんですよ。

 >で、次回も同じようなテーマになっちゃうんですが、AIのこととかをちょろっと喋らせてもらおうかと思っています。…………実はここで言ってもいいんですが、おそらく書き始めたらとまらなくなるのでもうちょっと充電期間をおきたいと思いまして。では、またそのときにお会いしましょう。

 >あっ、そうそう。以下に今回お世話になったとこのリンクとか張っときますんで、どうか行ってみてください。とくにマルチ研のほうでは僕のなんかより遥かにためになる文章を提供してくださっているし、マルチのサイドストーリーも読みごたえがあるものです。

 >では、また来世紀の終わりごろ。

 

 

以下はリンク集です

リーフさんのホームページへのリンクです。今回のテーマはここの掲示板で見つけた。
アクアプラスさんのホームページ。PSのトゥハート情報はここで見ることが出来ます。
何を隠そうマルチ研のホームページ。ぜひチェックすべし。
マルチのSSとしてはかなりの完成度。読む価値は充分にあります。
今回のテーマのもととなった書き込みを談話室に残していった繭佳さんこと秀さんのホームページ。

 

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